私、しごと、暮らし

私、ケアマネやってました。。

まっすぐに生きてきた

私が担当している90歳女性のTさん。

担当して数年。Tさんは最初から自分の話を全部してくれるわけでは

ありませんでしたが、毎月の訪問で、信頼関係をもつことができ、

それまでどういう人生を送ってきたのか少しずつ語ってくださるように

なりました。

 

幼い時に両親が離婚。父親と一緒に生活していたが、父親が鉱山の事故に

巻き込まれ包帯ぐるぐる巻きの姿で数日苦しんだ後、亡くなった。

その後は、祖母と父親の姉夫婦のもとにひきとられ生活。叔母は厳しい人

で学校には行かせてくれたが、人使いが荒く、よく家の仕事で働かされた。

「くそばばあ」といつも心に思っていた。しかしそんな、くそばばあでも

いてくれて育ててくれたから良かった。叔母のだんなさんは優しい人で

自分の子供のようにかわいがってくれ、少しでも収入があるとセーターなど

を買ってくれた。しかしそんな優しい人も病気ですぐに亡くなって

しまった。お腹に水がたまって苦しむ姿は子ども心にショックだった。

 

少し大きくなってからは戦争の時代。工場で働いていて、機械音で空襲警報

がすぐには聞こえず気づいて外に逃げ出した時には敵機はすぐ近くだった。

近くの防空壕は、いっぱいだから入ってくるなと言われ、逃げる場所も

ない。近くの溝に転がり身を潜めた時には生きた心地がしなかった。敵機に

乗っている人の顔がはっきり見えた。その位、至近距離で命を狙われて

いた。何とか逃げ切れたが家は空襲で全焼。山手のほうの親戚宅まで歩き、

たどり着いた時には夜が明けていた。

 

このTさん。歳の近い妹がいたそうです。

「ずっと妹と二人、助け合って生きてきた。妹がいてくれたから、親が

いなくてもさほど寂しさも感じずにがんばってこれた。しかし30代の

時に妹が急死。この時ばかりは、生きる気力を無くしたよ」

 

 

今はデイサービスに通うTさん。若い頃から女ながらに土木の仕事、農業、

漁業・・とたくさんの仕事をがんばってきて、相当体を酷使。年齢を重ねて

徐々に歩けなくなり最近は車椅子の状態。認知症は無いけれど、歳相応の

物忘れ、加えて難聴。デイスタッフのケアのミスに過剰ともとれる反応で

「なんで私がこんなことされないといけないの。私はまっすぐ生きてきた

つもりなのに!」と怒ることがたまにあります。かなりの難聴なので、

勘違いも多い。「まっすぐに生きてきたつもり」の言葉にTさんのこれまで

の人生の話が頭をよぎります。デイスタッフと協働し何とかTさんの誤解を

解き、元の生活に戻ります。

 

妹を亡くした後も、波乱万丈な生活をしてこられたTさん。私がTさん

だったら、こんなに気丈に生きていられるだろうか。精神を病んでいない

だろうかと思うくらい。Tさんは一見、普通のおばあちゃんですが、

心を強く持って生きてきたすごい人です。

 

Tさんが体が不自由でも心穏やかに生活ができるよう微力ながら自分の

仕事に集中したいと思う今日この頃です。